甲州光沢山青松院

 彼岸の風光 

平成15年10月号


  春分の日、秋分の日を中日(ちゅうにち)に前後3日、合計7日の間はわたしたち日本人 には馴染み深い彼岸会の行事である。<ひがんえ>などというより「お彼岸さん」とい う方がしっくりくる。日頃はご仏壇やお墓にご無沙汰しているこの忙しい身でも、この 日だけはご先祖さんとのつながりを再確認する日である。

  木の股から生まれてきた人などいない。みんな親から生まれてきたのである。 父と母で二人、そのまた父と母は二人ずつ、そのまた父と母は・・・などと 遡っていくと途轍もない数の人がこの私を生み出してくださったことに気づく。 五代遡っただけで、2+4+8+16+32=62人という方々のお陰で この私があることを思うと不思議さと同時に畏れを覚える。どれだけの命の連鎖が 私まで続いてきたのか・・・。普段忙しい身が悠久の過去へと思いをはせるとき、 心の底で何かが回復する。忙しいとは心(りっしん偏)を亡くすと書く。 忘れるもまた心を亡くすと書く。亡くしている心とはどんな心か。

  感性的心と霊性的心と呼んだ人がいた。現代社会は皮相的感性の社会とは いえないだろうか。以前とは比べ物にならないほど今日では容易に外国の文化、 芸術に接することができる。動きの激しい現代は絶えず時代にマッチした感性を 要求している。ビジネス、ファッションのみならず、学問だって明治以来この方、 西欧の思想を追っかけるのに心を配ってきた。現代人は絶えず感性を磨くことを 要求される。

  然し歩みは片方でしっかり大地を捉えなければもう片方は進一歩とはならない。 明暗おのおの相対して比するに前後の歩みの如し・・・夜がなければ意識を 休めることもできないし、それに悪人もまず困るであろう。善人悪人、平等に 夜が訪れるということに夜の偉大さを思う。霊性的心とは、感性の劣っている 人でも、時代に乗り遅れた人でも、どのような立場、どのような境遇にある人 でも斉しく宿っている天地宇宙、山河大地とブッ続きの心に違いない。

  「億劫相別れて須臾も離れず」と大燈國師は云った。非連続の連続。一見切れては いるが間違いなく繋がっているのである。墓参りの帰り、暮れなずむ夕焼けを 見ながら彼岸に至る道を思うのは、間違いなくあなたの中の霊性的心である。







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