甲州光沢山青松院

 夕焼け小焼け 

平成16年1月号


  ♪夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘がなる お手々つないで  みな帰ろう カラスと一緒に帰りましょう・・・・

  よく知られた昔懐かしい童謡である。遊びつかれて歩く道すがら、 西の方に目をやると、真っ赤な夕日が今にも没しようとしている・・・明日も 今日のようなお天気かしら、泥だらけに汚したズボンのことを母親にしかられ ないかしら、などと気にしながら帰宅した遠い日の記憶・・・今の子どもたちにも 遊びつかれて帰宅する心象風景はあるのだろうか。そのような「風景」自体が 遠のいているように思えてならない。山間の村落などはすでに過疎で消えかかって いる。それでなくても少子化である。そんなところのお寺も必然的に大寺院の 兼務寺と化してしまうだろう。鐘なんか聞こえっこない。市街地へ移った子どもは マンションや高層ビルに阻まれて夕焼けの広がりの全体など見れない。それより 塾や習い事で忙しい時間帯である。首都圏や阪神圏の沿線では、塾のかばんを 持った子どもたちが地下鉄や私鉄のプラットホームでたむろしはじめる頃である。 駅の階段を駆け抜け、車両から車両へぴょんぴょん小走りに移っていく姿・・・ 二十世紀最後の四半世紀頃からよく見られた景色だ。その頃の子供たちが 親になっている(と思われる)今、何が起こっているか。統計史上最低の出生数、 出生率、統計史上最高の児童虐待数(!)、一言で言えば子どもを生まない社会、 子どもを育てない社会になってきているのだ。「生き物」として非常に危険な 状態になってきているといえよう。付け加えて、この國では5年以上も続いて 毎年三万人以上の自殺者が出ているという。経済のスランプということもあるが、 決してそれだけではないだろう。

  そこで聊か唐突ではあるが、夕焼け。なんというか、心の原風景 である。禅の言葉で言えば本地の風光、本来の面目、父母未生以前・・・と いったところか。短絡的に結論づけるつもりはないが、乏しい原風景しかもたない 少年少女が成人したとき、彼らはどのような大人になるか・・・。幼少体験の 豊かさが人間の原風景の素地を形づくるのであれば、幼児教育、児童教育は 再考を要する。それにしても、私たちの周りで身近に見ることのできる夕焼けの 美しさは表現を絶する。空の色合いといい、えも言われぬ雲の流れといい、 大自然の精妙なるはたらきの賜物である。東雲の朝焼けにしても同様である。 ゲーテはきっとこういう風景を見て「時よ止まれ、自然よ、お前はかくも美しい!」 とファウストに言わせたに違いないと思う。

  現代に大きな影響を与えたハイデッガーという哲学者がいる。 ヨーロッパ中世以来の伝統的存在論にメスを入れ、「存在」と「存在者」を 厳しく峻別して深く思索した人である。人間を「死する存在」(Sein zum Tode) としてとらえ「世界内存在」(In-Der-Welt-Sein)としてとらえた。 それを現代日本の代表的哲学者上田閑照氏は「二重世界内存在」として 受け止め、再構築している。(世界/虚空)二重世界内存在である。 その虚空の説明として小学校四年生の「夕焼け」の詩をあげ、また芭蕉の 「古池や・・・」の句で虚空を抉り出し、そして禅のテキスト「十牛図」の第八 (人牛倶忘)・第九(返本還源)・第十(入テン垂手)の連関を用いて虚空 (絶対無)の真相に迫る。(詳しくは、ちくま学芸文庫「実存と虚存」参照) いずれも共通しているのは背景、原風景のプレゼンスである。然しこのことは すでに前世紀半ば、マックスピカートが「沈黙の世界」等によって全体性の 喪失を憂い、近代文明、近代人を批判してきたことだ。「自分」とは「自然」の 「分有」であり「自」「分」という。その自然は「自ら」「然ある」自然 (自然 - 法爾)であり、その中に生きる人間は「人 - 間」である。決して 言葉遊びではない。そういう私たちの根本事態が忘れさられようとしているのだ。 哲学とは好事家の観念の遊戯であってはならない。現代社会が呈している 様々な問題を真摯に受け止め、積極的思考を促すものとしてはじめて意義を 有する。その意味で上田閑照氏が唱える「世界/虚空二重世界内存在」論は 極めて示唆に富んでるといえよう。

  道元禅師正法眼蔵「山水経」の「而今の山水は古仏の道現成なり。 朕兆未萌の自己なるがゆゑに現成の透脱なり」ということばにゆかしくも惹かれ、 繰り返し朗誦したくなるのは、まさにそれが私たちが置き忘れてきた「原風景」 であるからに他ならない。「言葉は存在の住家である」とハイデッガーは言った が、まさしく「存在」のハイマートである。帰るべき故郷の喪失、この現代に おける「苦」は生老病死よりも厄介で深刻なのである。







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