■ 遠山無限碧層層
平成16年2月号
サミュエルハンチントンという人が1993年に提起した「文明の衝突」では 世界を八つの文明に分類している。西欧文明、東欧文明、アラブ文明、インド文明、 中華文明、日本文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の八つである。 米ソの冷戦構造がベルリンの壁の崩壊で終焉した後、現在及び今後の世界史の問題は これらの文明間の衝突であるという予測を立てた。 西欧文明を中心に見ているという批判もあるが、その後世界で起きた事件や紛争を見ていると、 あたっているところもあるのでおもしろい考察だと思う。 それぞれの文明の根底には西欧文明の基督教、東欧文明のギリシャ正教、以下イスラム教、 ヒンドゥー教、儒教、神道と混合した日本仏教、民族的色彩を帯びた基督教、 原住民のアニミズム…というように違った宗教があるというのもうけがえる指摘である。 米ソの冷戦下ではイデオロギーの違いに覆われて露わにならなかった宗教の違いは、 新しいパラダイムの下では、紛争の解決をより複雑にしている。 日本語の「宗」ということばや西欧語のレリジョンの語義が示すように、 皮肉骨髄にしみこんで根が深いだけに容易ではない。 考えてみれば、同一文化、同一宗教の下でも人と人との対立はあり、 さらに同じ屋根の下でも時として摩擦を生ずることもある。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい・・・と云ってみんながみんな、 『草枕』の主人公のように旅に出ることができればよいがそうもいかない。 お釈迦様は「天上天下唯我独尊」と右手をあげてご誕生されたということである。 一種の人権宣言と解していいだろう。私たちひとりひとりは、かけがえのない、代替不可能な 存在である。みんな固有のとうとい「おんいのち」を頂戴しているのである。 西欧語の個人=インディヴィデュアルはそれ以上分割不可能という意味である。 その個人を「一箇半箇の接得」をする禅のお師匠さんの苦労も並大抵ではない・・・ 師匠と弟子の出会いもハンチントンに習って一種の「文明の衝突」と言えば少し大げさである。 しかし、バックグラウンドの違うもの同士がぶつかるわけであるから時として火花が生ずる。 碧巌録第二十則に翠微、臨済とまみえた竜牙の話が出てくる。 「如何なるか祖師西来の意」―ダルマがインドから禅を伝えた意図は 何なのか― 諸国行脚の修行僧がこれぞと思う禅匠に問いをかける常套句である。 何ゆえに自分は仏道を歩むのか、仏とは何なのか、なぜそんなものをダルマはインドから 中国へわざわざ伝えたのか、・・・大疑団となってさまざまな問いをかける僧たちに 禅匠は「庭前の柏樹子」と言ったり「乾いた糞」と言ったり、 「飯を食ったか、食ったら茶碗を洗っておけ」などと答ならざる答を云うばかりか、 時には指を一本立てるだけであったりもする。何も云わず姿を消す・・・身振りで示す こともある。求めるほうも大変だが与えるほうも苦心惨憺するのである。 世には、正しい師につかなかったばかりに社会的事件を起こし一生を棒に振るケースもある。 唐代宋代の修行僧たちは「自分の師」を求め歩いて行脚に行脚を重ねた (十牛図「尋牛」―「見跡」)。永平初祖も「学道用心集」でわざわざ 「正師を求むべきこと」と一章をさき、「正師を得ざれば学ばざるに如かず」とまで 云われている。永平初祖と同時代の親鸞上人は自らを愚禿と称し 「親鸞は弟子ひとり持たず候う」と云われた。罪悪深重の身の自虐や謙遜ではない。 師となることの責務の大きさを逆説的に言われているのだと思う。 京都天竜寺、平田精耕老師は「生きてるうちは悟りなんかないわい」と仰ったということだが、 大悟百遍、小悟数知れずの禅匠にしてのこの言葉、作麼生。 悟後の修業、途中にあって家舎を離れず、絶えざる「自己否定」で修行僧を導いて おられるのだと拝察申し上げる。允に正師となることはたいへんなことなのである。 弟子以上に精進しなければ正師にはなれない。 さて件の竜牙は翠微に禅版で打たれ、臨済に蒲団で打たれた。 (この順序は臨済録と碧巌では逆になっている)それでも「祖師西来意なし」と 云ってさらなる旅を続ける。翠微、臨済に「否」といったのである。 「汝はわが師にあらざるなり」と言ったのだ。臨済の喝、徳山の棒といわれた臨済にである。 殺佛殺祖の臨済にである。永平初祖が、「徳山、いかにしてか臨済に及ばん、 臨済の如きは群に群せざるなり(行持)」と挙揚した臨済に。 「赤肉団上に一無位の真人有り、未だ証拠せざる者、看よ、看よ」と修行僧を叱咤鞭策した あの臨済義玄に「否」と云ったのである。その心意気やよし、である。
師との相見は「出会い」である。求めても出会えないことがある。
求めずとも出会う場合がある。恩寵によるのだ。約束していないものの同時契合、
自他が脱落底において相まみえること。時節到来である。
(まのあたり、先師をみる、これ、人<ニン>にあふなりー行持・天童如浄)
青春期の彷徨はこれぞと思う師を求めての旅だと言ってもいいだろう。
それは苦しみを伴う。しかしそれは産みの苦しみである。ゲーテは、人間は努力する限り
迷うものである、と言っている。ニーチェは「ツァラツストラはかく語りき」の中で、
人間の精神は駱駝から獅子へ、獅子から幼な児へと発展するものだとした。
砂漠の中をこつこつと重荷を背負って忍耐強く歩き続ける駱駝・・・これぞ青春期の
彷徨の姿である。竜牙の問いに臨済は活句で「祖師西来意」を示す。
竜牙もまた「西来意無し」と翻転活句する。閃電光、撃石火。
竜牙の姿には求めても求めてもあくなき旅を続ける若き道人の姿がオーバーラップする。
碧巌二十則は有名な次の頌で締めくくられている。 諸人よ、夕闇の遠山の中に今にも没し去ろうとするが未だ没しきれないこの風光、 この極み、一句云え、一句吐け。作麼生。これぞまさしく公案である。 われわれにも一句道えと迫るのだ。竜牙の心境か。臨済の心境か。はたまた碧巌を 編した雪竇の心境か。幾多の解説書にあるように「平等即差別」などと陳腐な 常套句で片付けてはなるまい。思い出しても甘く酸っぱく、そして苦くてせつない、 青春期の彷徨を透脱する薫り高い一幅の絵が「いまここ」にある。 (更に参ぜよ三十年!) |