■ 老いぬれば
平成16年6月号
季節の旬のものを頂くことほどうれしいことはない。 菜の花、蕨、フキノトウ、タラノ芽・・・春の山菜は長かった 冬のご褒美かと思わせるほどに豊かな彩を食卓に添える。 良寛さんは長い冬をやりすごして、また今年も子供と遊べる春の到来の 喜びをを詠んだが、子供と手毬をして遊ぶ楽しさだけではなかったろう。 きっと春の美味しいを山菜に舌鼓を打ったに違いない、などとつい思ってしまう。 日ごろは野菜ギライな子供たちもよく知っていて、 すすめなくても勝手に箸をのばす。 色即是空ならぬ「四季即是喰う」を生きる身には、春の山菜は 生きていることの喜びであり、思わず自然の恵みに感謝を捧げたくなる。 採りたての菜の花を辛し和えにしたもので冷酒を飲めば、 世の中にこのような美味いものがあったのかと、過去の食生活の貧困さを 思い知る。 香り豊かなフキノトウを頬張れば、ふわっとした苦味が口いっぱいに広がり、 まるで人口甘味料になれた飽食の毒を解かしてくれるようだ。 そして入梅の前には竹の子が食卓や店先に並ぶ。 竹の子は筍とも書き、地上に芽が出てから十日間という一旬で竹に なることからこの字を当てるという。 英語のバンブーシュートは、語感が如実に出ていておもしろい。 成長期の子供を表現するのにも使われるくらいだからイキがいい。 イキのいい朝掘りのたけのこはその日のうちに食べるのがいちばん美味いという。 阪急梅田から快速急行で30分、京都河原町からだと15分のところに 長岡京市がある。 たけのこの産地としても名高いこの地方は、 古来から乙訓地方として知られてきた。乙訓(おとくに)は弟国に由来し、 古代日本を彷彿させる。 近年は京阪地方のベッドタウンとして発展してきたが、二度にわたって都が 置かれた歴史の町でもある。 1227年、道元禅師が中国から持ち帰った孟宗竹を植えたのが 乙訓たけのこの始まりとも言われている。 阪急京都線長岡天神の駅を降り、住宅街を抜けていくと広々とした 竹林が視界に入る。 そんじょそこらの竹林ではない。スケールがちがうのだ。 竹取物語に出てくる翁がふっと現れ出てきそうな幻想的な雰囲気が 散策者にはたまらない。 付近には、西行ゆかりの勝持寺、西国二十番札所善峰寺など 山寺の雰囲気を漂わせる。 洛中、洛北ほど観光の手垢に汚れていないのもうれしい。 竹のそよぎが自然の経を奏でると遥か遠い昔がよみがえる・・・。 長岡京という名のとおり、奈良時代と平安時代の間に 都がおかれたときがあった。わずか十年である。 その長岡にある高貴な女が住んでいた。伊勢物語八十四段の話である。 一人娘を京に宮仕えに出したがなかなか帰ってこない。 自分ももう老い先はみじかい。 避らぬ別れ(避けることができない別れ)が待つばかりである。 ひとめ会いたい。女はたまらず娘に文をやる。
文をもらった娘はうち泣きて歌を返す
伊勢八十四段はこれだけである。物語らしい物語の展開はない。 親子の歌のやり取りだけしかのっていない。 しかしこれほどに細やかな親子の情愛をうたった歌をほかに知らない。 親子の関係は永遠のテーマである。 親子の関係がある限り、親はいつまでも親であり子はいつまでも子である。 時の流れとともにいろんなステージがあるにしろ、親子という 原本的関係は不変である。その親子も必ず別れがやってくる。 四苦八苦のひとつ、愛別離苦(アイベツリク)である。 御釈迦さんは怨憎会苦(オンゾウエク)と共にこの愛別離苦を説かれる。 嫌な相手と顔を合わすのも苦なら愛しい相手と離れるのも苦である。 しかしこの二つの苦は重なり合う。愛憎半ばして交じり合うのが われわれの現実である。 「老いぬれば」という言葉には母の境涯が凝縮されている。 誰も「老い」は避けて通れない。 ダルマ大師から数えて六代目の祖師、慧能という和尚さんは 「無常は仏性なり」と説かれた。この無常の身に老いを引き受けて 生きていくしかない。 子は子で今頃母親はどうしているんだろう、もうろくして火の不始末でも していないかしら、あらぬ心配をする。 親は親で、私が死んだらあの子はどうやって暮らしていくんだろう、 だれかいい人に出会えるかしら、などといらぬ気苦労をする。 一つ屋根にいると愛憎が交差するが、 離れていると「憎」より「愛」のほうが強くなる。 愛はいつも「間」に芽生えるからである。 インドの原始聖典「スッタニパータ」には 「両親が老いているのに、これを養わず、自分だけ豊かに暮らす人がいる。 これは破滅への門である」とある。 「老」の問題は洋の東西を問わず昔から人類普遍の問題であった。 核家族化がすすみ、高齢かつ少子化社会の現代日本の社会にとっては より喫緊の問題である。 毎日の新聞を見ていると、親子関係、男女関係に端を発する事件は 枚挙にいとまがない。 一つ屋根に二世代三世代が住むこと自体、今日では「現代」的ではないのだろか。 しかし親から子へ、子から孫へという世代の伝承は否定しようがない。 それも諸行無常の営みである。仏教はそこから出発している。 永平寺で長年講師をされていた岡山成興寺住職小倉玄照師は保育園の 園長先生でもある。 子供にはどんな死に方をして欲しいかという願いをこめて子育てをせよ、 と母親に諭される。こんなことを言うものだから時々誤解されるようだ。 しかし死は厭うべきものでも忌むべきものでもない。 厳然たる事実である。トータルな目で見てのお諭しである。 その小倉師に「願い」という詩がある。
若さと老いは決して対立するものではない。 無常の相でみれば同じものなのである。 わたしたちが愚かなゆえに、無知であるがゆえに対立的に見えるのである。 若葉マークやもみじマークが混じって走っているのがあるがままの姿である。 お釈迦様は自然と調和して、自然に随順して生きよと諭されている。 自然は仏教ではジネンという。 あるがまま、はからいのない姿のこと。 無事是貴人という禅語が臨在録にある。 はからいのない姿こそが貴いのだ。 「老いぬれば」の歌は親子のあるがままの命のリレーの表現である。 命のリレー。親子関係を考えるひとつのキーワードではないだろうか。 |