■ 音の風景
平成16年8月号
NHKのラジオの番組で「音の風景」という番組がある。
せせらぎの音であったり、機械の音であったり、船のエンジンであったり、
実にいろいろな音を聞かせてくれる。
風景などというと眼前に広がる景色や情景を想像しがちだが、
この番組を知ってから音にも風景があることを知った。
考えてみると、わたしたちは実にいろいろの音に取り巻かれている。
普段は生活の背景となっていて、それとは気づかないけれども、
あらためてそれだけ取り出されて聞いてみると、はて一瞬なにかしらと思う。
朝のスズメの鳴き声、時折トタンを打つ雨音、新聞配達のバイクの音、
子どもの声、稼動する工場の機械音・・・夏の盛りともなれば朝から
全山蝉時雨である。
早朝から実に様々な音の中でわたしたちは生活している。
何年か前、朝の木魚の音にあわせて本堂の棟板をたたくキツツキがいた。
本堂に穴をあけられると困るのでトタンを張ったところ、
トタンの上からガンガンお構い無しにツツクのには驚いた。
朝から板金屋さんが仕事をしているのかと思った。下から睨みつけてやると
逃げていった。お盆が近くなると、地蔵盆のならわしがあるところでは、
朝から子どもたちがチキチンチキチンコンコンコンと鐘をたたいたり、
老婆たちが講を作って集まり、黄泉への通路かと思わせるような
節回しで心経や御詠歌を唱えたりする。夏の音もかなりにぎやかだ。
気になる音、気にならない音、時として音が決定的な意味をもつこともある。
香厳撃竹、霊雲桃花ということが禅宗史で言われる。
香厳という人は、掃除をしているときに竹に小石がぶちあたる音を聞いて悟り、
霊雲は桃の花を見て悟ったことが伝えられている。
また宋の詩人であった蘇東坡(蘇軾)は谷川のせせらぎを聞いて一夜にして
さとったという。その悟りをのべた詩を投機の偈という。
谿川の音はまことに雄弁であった。
山のみならず一切の存在は、清浄の身でないものは何ひとつとしてないのだ。
夜来、わたしはこの自然が奏でる汲みつくすことのできない偈を考え抜いた。
他日、どうやってこの体験をお伝えしたものかと・・・。
このような意味になるであろうか。
山を愛する人の気持ちが分かるような漢詩である。
蘇東坡は明らかに悟道したのである。
その前の晩、ある禅師さまから「無情」についての法話を聞いた。
無情とは思い遣り、同情心が無いということではない。
人間のように意識・感情を持たない存在のことだ(人間を有情という)。
山川草木、日月星辰等自然万物いっさいのことである。
しかし理解できずにいた。
それが、夜の山中を一人歩いていると分かったというのである。
その言うに言われぬ気持ちをしたためたのである。
悟境といっていいだろう。
道元禅師は正法眼蔵「渓声山色」で蘇東坡のことを「筆海の真竜なりぬべし」と
形容している。
宋代第一の詩人であったのだ。その筆海の真竜をして「他日如何挙似人」と
いわせた渓声との直接経験は言葉以前の出来事であったに違いない。
それは、人の言葉を奪い去ってしまうほどの出来事、真の意味での経験である。
香厳智閑というお坊さんは昔ある禅師さまの下で修行していたとき、
たいそう期待されていて、今までの言葉に頼らず「父母未生以前にあたりて
わがために一句を道取しきたるべし」と問われた。無限の時間空間について
説いてみよ、ということだ。これまで自分が蓄えた知識やあらゆる書物を
開いてみたが参考にならない。もう俺はだめだ。一生涯他の僧侶の飯の給仕役に
なって過ごそうと思った。あきらめてかなりの年月を経た。あるとき山で庵を結び、
竹を植えてひそかに生活していたが、道を掃いているときに石が跳ねて竹に当る音を
聞いた。そのとき豁然として大悟したというのである。時節因縁が熟したのである。
わたしたちはよく「経験」という言葉を用いる。
経験のある人、経験豊富な人といったように。しかしその「経験」は
蘇東坡や香厳智閑の「経験」とは違う。反省された他者の経験に対してさらに
反省を加えられたものを「経験」と呼んでいるにすぎない。
西田幾多郎が『善の研究』で説いたように、「色を見、音を聞く刹那、
未だ主もなく客もない」状態こそが「経験」のより根本態といえよう。
禅僧と親交のあった芭蕉は「如何なるか青苔未生前の仏法」と問われて
「蛙飛び込む水の音」と答えた。まことに禅機にみちた受け答えである。
その「音」もまた蘇東坡や香厳智閑の「経験」同様、言語以前の出来事に違いない。
あえて言うならば「!」とでも云えようか。
この音には後に「古池や」という初句が付け加えられ、蕉風開眼の句となった。
古池や・・・。「や」という切れ字で切り開かれた世界は寂静の虚空である。
この虚空こそが禅の風景でもある。
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