甲州光沢山青松院

 世尊指地 

平成17年4月号


ひゃく そう とう じょう 無辺むへんの春
手にまかせ、 ねんじ来たって用い得て親し
(『従容録』第四則世尊指地)

  歳末から年始にかけての一連の行事が、 日本人ひとりひとりの心の分水嶺なら、三月から四月にかけての 年度の切り替えは、会社、学校等々の事業団体の大きなターニングポイントとなる。 「光陰むなしく渡ることなかれ」と曹洞修証義にはあるが、実際は「光陰むなしく 渡ることなし」であり、時は容赦なくすぎていく。人間の思惑、人事とは無関係に 時はすぎる。さて、四月八日は釈尊降誕会(シャクソンゴウタンエ)、 「花まつり」である。釈尊がお生まれになると天の神々が甘露の雨を降らせたという 言い伝えから、誕生仏に甘茶をかけてお祝いをする行事が始まった。灌仏会(カンブツエ)と も云われる。四月八日にお生まれになったお釈迦様はすぐに七歩歩かれ、右手で高く天を指し、 左手は地を指して「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと伝えられているが、もちろん 後世の人が考えた象徴的なお話である。事実と真実は違う。この話は事実ではないかも しれないが真実を伝えている。ともあれ、とかくこの言葉は誤解されている。 あいつは「唯我独尊」的な人物である、などといわれると、手前勝手なセルフィッシュな 人間であるという意味に使われることが多いが実はそうではない。みんなそれぞれ かけがえのない存在としてこの世に生れてきたということなのだ。みんなオンリーワンと いうことだ。

  禅の公案集に登場するのは有名な禅僧だけではない。 お釈迦様だって登場なさる。『無門関』第六則の「拈華微笑」の話はつとに有名である。 霊鷲山(リョウジュセン)という小高い山で金波羅花(コンパラゲ)の花を拈じて 摩訶迦葉尊者に法が伝わったという話である。ほかの人々は差し出された花を見ても 何のことか分からずポカンとしておった中で、ひとり摩訶迦葉尊者だけが微笑んだ というあの有名なお話。『従容録』第四則世尊指地の話は、お釈迦様が微笑んで お弟子に証明を与える。冒頭の従容録の詩句は、本則の後にある頌(悟りの境地を 詩にしたもの)である。うららかな春の日、釈尊がお弟子を引き連れてお散歩を なさっていたところ、「此の処、よろしく梵刹を建つべし」(ここはお寺を建てるの によいなあ)と地面を指差して仰った。すると、一人のお供が一茎の草を地上に立てて 「お寺はここに建ちました」と言ったのを受けて釈尊はにっこり微笑み御証明を お与えになったというのである。

  百草頭上無辺の春―梅や桜、水仙、木瓜の花にだけ春が現じているのではない。 名もない草にもあたり一面に春は現じている。人間の世界ではよい人、悪い人、 美しい花、そうでない花・・・花屋へ行けばいろいろ値段がついているが、 天地法界の「いのち」はそうではない。職場でも仕事のよくできる人、 そうでない人、あんな性格、こんな性格・・・そういうものを一度全部取り去ったところに 違う風光が見えてくるのではないか。

  手にまかせ、拈じ来たって用い得て親し―そういう風光から見れば、 手当たり次第にどんな花をもってきても親しく感じるということである。 「手にまかせ」の「まかせ」は「信」という字をあてているのが興味深い。 過日の山梨日日新聞のコラムに、迷宮入りかと思われた事件を解決した老警部補の 話が載っていた。朝から晩まで何日も向かい合い、犯人の信頼を得ることによって ついに自白を引き出した警部補の話である。老女殺害を自白した犯人は現在も服役中 であるが、今は退職した警部補との文通は続いているという。迷宮入りになりそう だったこの事件を解決した老警部補は、きっとこの「風光」が分かっていたのだと思う。 だからこそ犯人はその警部補に「信」せたのである。人間は生まれながらの 悪人はいない。みんなふとした機縁で悪人になるのである。わたしたちは悪いことを した人に容赦のない言葉を浴びせたり蔑みの視線を投げかけるが、 わたしたちだって「たまたま」そういう縁がないだけで「善人」でいられるのである。

人の心、元より善悪なし。善悪は縁に随っておこる
(道元禅師『正法眼蔵随聞記』)

  人間は与えられた環境、条件次第ではどんな極悪非道を おかすかもしれない。わたしたちは常にその可能性を孕んでいる。 戦争時などはその典型である。すぐれた宗教者はこのことをよく存知しているのだ。 此の心によろしく梵刹を建つべし。







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