【心の杖言葉】 朝(アシタ)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり − 論語 里仁から −
私たち東洋人は「道」という言葉には格別な思い入れがあります。 ひと昔前の小学校の国語の教科書には道夫くん道子さんがよく登場しました。 白樺派詩人高村光太郎の「道程」も「僕の前に道はない。僕のあとに道はできる」で始まります。 魯迅の小説「故郷」の終末も「希望と道」についての述懐があります。 禅文化が影響を及ぼした華道茶道書道は言わずもがな、野球道、相撲道、空手道・・・道を歩む人は須らく求道者となります。 表題の「道」は極めて「真理」に近い道ですが(道≒真理)、真理よりも含蓄、深みがあり、話者の人生の経歴、消息を想起させます。 小欄で時おり扱う「十牛図」も単に「悟りに至る道」というより、その時その時の境涯、歩みが道であり、真理であると言えるでしょう。 (令和2年9月) 写真上:夕暮れ(大阪)右:夕暮れ(甲府) |
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