【心の杖言葉】 岐路こそまさに愛すべし − 楊朱 −
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり- 私たちが歩んできた道、その真諦を明らかにし了畢すれば、もう死んだって構わない・・・人生の一大事はこれに尽きるといってよいでしょう。然しそんなに簡単ではありません。 道を歩んでいると分かれ道に遭遇し、いずれか選択を迫られる時があります。進学するのか就職するのか、文系か理系か、学問・研究を続けるのか、それとも世の中に出て実学の研鑽を積むのか、或いは生涯色男(女)や酒飲みとして生きるのか、生涯求道者として生きるのか・・・、まあ各人各様、実に様々な岐路に出会います。 中国の哲学者楊朱は道を歩いていて、岐路に出会い、自分は南にも行けるし北にも行ける・・・と言って泣いたという話が伝えられています。その涙は何処からくるものでしょうか。 半世紀ほど前、日本の各地の大学は学園紛争で封鎖騒ぎ、たいへんな混乱の時期がありました。大学へ入学を果たしたものの、ストライキで授業は行われず、学生たちは途方に暮れ、自分たちで自主講座を開いたりして学問への憧憬、欲求を満たした時期がありました。その混乱の渦中にあり、大学教員をしながら著述に従事し、学生たちから熱烈な支持を受けていた人がいました。文学者では高橋和巳、柴田翔、哲学者では滝沢克己など・・・。大学紛争を契機として人間の根本問題を考え抜いた人たちです。表題の言葉はその高橋和巳さんが愛した言葉です。我々が歩む道は決して平坦な道ではないのです。 (令和2年11月) 写真下:大阪市夜景(都構想は否決されました) |
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